⊛ SURFERS OF NIIGATA 波ではなく人を記録する。

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海とインターネット/サンディエゴと新潟

Masato Genius. KABA

2026年07月2日

初めてのインタビュー記事投稿は、この方しかいないと決めていた。
もはや20年以上にも及ぶサーファーとしてのおつきあいのほか本当に公私共々(公ってなんだ?私の部分だけか)のお付き合いがあり、そして最近はスケーター?としても付き合ってくれているマイメンDr. SEKI

いつもユニークなセキさん。そのセキさんの内側の熱い想い?
をインタビューしました。

Name : 関 正明
Birth : 08.13.1972
Live : 西区
Occupation : Seki Eye Clinic
Surf experience : 30years
Favorite Spot : HL
Main Board : On Surfboard Twin Pin
Blog : サンディエゴ 波乗り&研究?留学記

サーフィンを始めたきっかけ。

大学時代のラグビー:高校、大学とラグビーに熱中していました。当時はラグビー全盛期!ユーミンもノーサイドなんていう曲作ってしまうほどラグビーが一般的でした。

そのラグビーの先輩に誘われてウインドサーフィンをやってみた・・・ってところで
しばらくはウインドサーフィンを一生懸命やっていました。

80年代後半〜early90年代当時はウインドサーフィン全盛でサーフィンって
どっちかというと風のない時の潰しのアクティビティーだったと思います。

サンディエゴ留学時代

派遣先病院の外来(めちゃめちゃ混んでた)に教授より電話が、「大学院行かない?」。うまく逃れることができずに1999年度から大学院へ。
が、4~8月まですることも無く、長い夏休みをもらったようだった。


9月になりようやく新潟大学脳研究所 分子神経生物学分野にて実験を始める。

最初の2年間はウインドサーフィン・サーフィンに打ち込んだものの、手厚く手厳しい御指導のおかげで学位論文をどうにか作って2003年3月修了した。
(2003年4月~2004年9月まで新潟県長岡市の病院にて手術を御指導いただく)

大学院生時代にお世話になった教授・助教授両先生に「サンディエゴへの留学」を勧められ、PubMedなどを使って探し始める。

そのうち、現在のラボを見つける(2001年のARVOという学会で、たまたま隣になった先生が同ラボに所属していたのを最近になって思い出しました)。

病院の仕事が終わると車で1時間くらい離れた大学まで行って実験をしたりしながら、残した研究を片付けた(結構つらかったなぁ・・・)。結果、論文が多少増えてきたので、問い合わせのメールを作り始めた。
その時、参考にしたのは「研究留学術」という本。

2004年10月にサンディエゴでSfNという学会で発表する予定だったので、その渡米の際にボスに会おうと思いつき、
2004年7月29日ついにApplication letterとCVをメールに添付して送信。
と、その日のうちに返事が。

曰く「学会の時に会いましょう。推薦状3通をメールで送ってもらって」とのことでした。
(2004年10月~新潟市内の中核病院にて御指導いただく。手術のみならず論文も書かせてもらって大変お世話になった。)

異動間もない10月末に1週間休みを頂きサンディエゴへ。
学会のお偉いさんでもあるボスは忙しい中、面接の時間を作ってくれた(ポスター発表の内容をちと話しただけでした)。
余談だが、この学会の最中に中越地震が起こり成田から新潟に帰るのに福島にまわったりして大変だった。

しばらく連絡がなく、「ダメだなこりゃ」と思っていた2005年1月末、「受け入れ可」なるメールが。ようやく留学準備を始める方向へ。

そうそう、ようやく結婚することにも決めました。
3月頃ボスより「Fellowshipに応募するとよいでしょう。当たらなくても応募することに意味あり。」なるメールが。海外学振に応募してみることに。何回かメールのやり取り(毎回「給料下さい」と文末に書いておくも、それに関しては返事なし・・・)。

5月21日、市役所に入籍届提出。
5月末ビザの申請に必要な書類についてボスに問い合わせ。「人事課にメールを転送しておいたから連絡くるはず」との返事。が、研究所の人事課より「給料の額が分からんとビザの手続きできない」とメール。→ボスに転送「給料どうなりましょうか?」→ボス「NIHの基準の給料を払ってあげましょう」。ということで、人事課から「必要事項を記載してくれ」なる旨のメールが来て、それに返信したところ1-2週間でDS-2019が奥さんの分と二人分きました。

この頃、かなえ財団、持田医学財団、病態代謝研究会、上原記念生命科学財団などに応募しましたが、ダメでした。

6月15日、病院の仕事の都合がつきそうな8月12日に米国大使館のビザ面接を予約。仕事を休ませて頂きビザ面接(たった3分のために仕事に穴を開けてしまった)。
1週間くらいでJ-1, 2ビザが到着。
8月10日大学院時代の残りの最後の論文がアクセプトされた。
8月19日。学振さまより「面接に来い」とのありがたいお手紙。
9月27日。病院の仕事納め。
9月28日。学振の面接。
9月30日。引っ越し(クロネコヤマト)。
10月5日の出発の日まで、夫婦双方の実家に居候しながら波乗り。
10月26日。学振より補欠の連絡・・・。どうなりますかねぇ。

2008年9月

サンディエゴを旅立ってから約22時間。

SD - サンフランシスコ - 名古屋 (中部国際空港) - 新潟と乗り継いで、ようやく実家に到着しました。

成田経由だと、大荷物を抱えて(スーツケース4個、機内持ち込み4個、サーフボード)移動したり、JRに乗り換えたりが億劫。
おまけに、成田エキスプレス+新幹線で、2人総額約3万円吹っ飛ぶ。
名古屋-新潟の差額は約5,000円、しかも航空券代だけは某財団から帰国費用として支給される (ハズ)。

という実に明快な理由で、かつて楽だったこの旅程で今回も。

サンフランシスコと名古屋で乗り換え待ちを、各3時間くらいするのでこんなに長い行程になってしまいますが、
時間的には、空港のチェックインに膨大な時間がかかるLAXから成田に飛んで、JRを使うのとあまり変わらない。


残念ながら、このUAのサンフランシスコ-名古屋便はこの10月で廃止になるそうです。
今後アメリカに行くときは、ソウル経由だけが新潟からの空路になってしまうのでしょう。

睡眠研究に興味のあるワリド作成のタイムテーブルに則って、機内で寝たりおきたりしてみましたが、果たして時差ぼけ防止の効果のほどは如何に。

とにかく眠くて疲れているので、新潟名物の黒埼茶豆を食べてさっさと寝ます。

それではおやすみなさい。  

なぜ今も続けているのか

なんとなく:研究が好き。もはや「性」

5年でやめられるのが趣味 10年以上やめられないなら道

金になろうがならなかろうが、死ぬまでそうしているならば、選ぶも選ばないも無い本質。非常に残念な事に幸せだ。

新潟のサーフィンの魅力

朝、サーフィンから始める1日はやっぱり気持ちいい。

忙しいことを理由に、自分のやりたいことをやれなくなると不満が溜まります。

というのも結局、そういう理由をつけてやっていないのは自分なので、自分への信頼が減るんですね。

そうするとどうも自分の発するバイブレーションが悪くなる。

なので、どんな理由があってもやっぱり自分のやりたいことはがんばってでもやる方が自分が気持ちいいと改めて思ったのでした。

そもそも、自分なぞ信頼しておりません!特に明日の、あるいは未来の自分。

日々退化するのみ!

関さんにとってサーフィンとは

なんとなく:研究が好き。自分のサーフィンを研究して振り返る時が楽しい。

最近はスケボーにも夢中です。

BONUS QUESTION

その人ごとにの自由質問

  • 愛読書 

  • 音楽 

  • 車 

  • 仕事 

  • 家族 

  • 冬の海 

  • その他言いたいこと

など、その人にが答えやすいことに自由回答

【SUP釣り】


Blogger, Surfer, Skater
いろんな趣味?があるセキさん。

ここに書ききれないセキさんのストーリーはブログ詳しいです。

http://blog.livedoor.jp/mseki1972/

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Masato Genius. KABA

人生の厄介息子 サーフィン・スケボー・旅・本・レコード・ビール 諸々の指標の実現とか まさか七年とはかかるまい!

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仕事前のわずかな時間海に入る人。
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新潟のサーファーたちの日常。

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なぜ続けているのか?

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自分のスタイルを形成した人たち。

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